令和8年
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Est. 1877

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エミュー戦争とは?豪州軍が鳥に負けた珍事の顛末

エミュー戦争とは?豪州軍が鳥に負けた珍事の顛末
1932年11月、オーストラリア陸軍のG.P.W.メレディス少佐は、2名の兵士とルイス機関銃2丁を率いて、ある「敵」との戦いに臨んだ。その敵とは、武装した他国の軍隊ではない。2万羽を超える、巨大な鳥「エミュー」の大群である。これは後に「エミュー戦争(The Great Emu War)」として歴史に刻まれる、あまりにも奇妙な戦いの始まりだった。 軍隊が、鳥を相手に「戦争」を仕掛ける。一体なぜ、そんなシュールな事態に至ったのか。これは、ただの害鳥駆除ではない。大恐慌、帰還兵、そして政治家のメンツが複雑に絡み合った、愛すべき人類の壮大な空振りの記録である。 ## 世界大恐慌の余波、農民を襲った「羽の生えた侵略者」 この奇妙な戦争の舞台は、オーストラリア西部の辺境地。第一次世界大戦後、オーストラリア政府は帰還兵たちに小麦栽培用の土地を与え、新たな生活を支援する政策を進めていた。しかし、彼らを待っていたのは、1929年に始まった世界大恐慌という過酷な現実だった。 小麦の価格は暴落し、政府の補助金も滞る。追い詰められた農民たちに、さらなる災厄が降りかかった。それが、繁殖期を終えて内陸部から沿岸部へ移動する、約2万羽のエミューの大群だ。彼らは農地に侵入し、大切に育てた小麦を食い荒らし、畑を踏み荒らして柵を破壊していく。農民にとって、エミューはまさに「羽の生えた侵略者」だった。 悲鳴を上げたのは、元軍人である農民たちだ。彼らは、かつて国のために戦った自分たちの窮状を政府に訴え、機関銃の使用許可を嘆願した。エミューの羽は硬く、通常のライフル弾では効果が薄い。そこで、第一次大戦で使われた強力な機関銃の出番を求めたのである。 この要請に対し、当時の国防大臣ジョージ・ピアースは驚くべき決断を下す。なんと、陸軍部隊の派遣を承認したのだ。表向きは「エミューの羽は帽子飾りの良い材料になる」などとも言われたが、本音は別のところにあっただろう。苦境にある元軍人たちの支持を得たいという政治的思惑、そして、格好の「射撃演習」になるという軍の期待。こうして、国家を挙げての壮大な害鳥駆除作戦、もとい「エミュー戦争」の火蓋が切られることになった。 ## ルイス機関銃 vs エミュー、第1次作戦の呆気ない幕切れ 1932年11月2日、メレディス少佐率いる討伐隊は、最初の戦場であるキャンピオン地区に到着した。そこには約50羽のエミューの群れがいた。絶好の標的だ。兵士たちは機関銃を据え、射程圏内に敵が入るのを待つ。作戦は完璧なはずだった。 だが、彼らはエミューという「敵」を甘く見ていた。 機関銃が火を噴いた瞬間、エミューたちは一斉に散開した。しかし、パニックに陥って逃げ惑うのではない。驚くべきことに、彼らは小さなグループに分かれ、それぞれが別々の方向へ高速で駆け出したのだ。その速度は時速50キロにも達する。固定された機関銃の射線から、巧みに、そして迅速に離脱していく。まるで、訓練されたゲリラ部隊のような動きである。 最初の戦闘での戦果は、わずか十数羽。しかも、別の場所で遭遇した1,000羽の群れに対しては、機関銃が故障するという不運も重なり、1羽も仕留められなかった。メレディス少佐は報告書にこう記している。「エミューの集団は、弾丸をものともせずに前進する戦車のようだ」。 作戦開始からわずか1週間。約2,500発の弾薬を消費して、仕留めたエミューは公式記録で50羽とも、多く見積もっても300羽未満とも言われる。あまりの効率の悪さに、軍は一時撤退を決定。これが、エミュー戦争における人類側の第一次作戦の、あまりにも呆気ない幕切れだった。 ## 「エミューには戦術がある」第二次作戦とメディアの嘲笑 軍の撤退に、農民たちは黙っていなかった。エミューの猛攻は続いており、「戦争」の再開を強く求める声が議会に届く。世論と農民に押される形で、国防大臣は11月13日に第二次作戦を承認。メレディス少佐は、再びエミューとの戦いの最前線へと送られた。 一度敗北を喫した少佐は、敵をより深く分析していた。彼は後に、エミューの戦術について感心したかのようなコメントを残している。「もし我々が、これらの鳥と同じように弾丸を避け、集中攻撃を仕掛ける能力を持つ兵士の師団を持てたなら、世界中のどんな軍隊にも対抗できるだろう」。なんと、敵将を褒め称えているのだ。さらに、「それぞれにリーダーを持ち、我々が作業している間も、1羽が見張り役となって警告を発する」と、彼らの組織的な防衛戦術を認めている。 第二次作戦では、戦術を一部変更し、より小規模な群れを狙うことで、第一次作戦よりは戦果を上げた。約1ヶ月にわたる作戦で、公式記録では986羽を討伐。負傷して後に死んだ個体を含めれば、2,500羽程度と推定されている。 しかし、そのために消費された弾薬は9,860発。つまり、エミュー1羽を仕留めるのに約10発の弾丸が必要だった計算になる。軍事作戦としては、壊滅的に非効率だ。この結果を受け、12月10日、メレディス少佐はついに呼び戻され、エミュー戦争は正式に終結した。 この珍妙な戦争は、国内外のメディアにとって格好のネタとなった。イギリスのある環境保護活動家は「これほどまでに破壊的な力を持つ人間が、自然界の賢明な代表であるエミューを絶滅させようとしたことに抗議する」と皮肉を述べた。オーストラリア国内の新聞には、「エミュー勝利!」の見出しが躍り、兵士がエミューに追われる風刺画まで掲載される始末。軍の威信は、鳥によって完全に地に落ちたのである。 ## ブタ1匹で開戦寸前?歴史は珍紛争で満ちている 軍隊が動物に敗北する。こんな馬鹿げた話はエミュー戦争だけかと思いきや、歴史を紐解けば、国家間の奇妙な対立は枚挙にいとまがない。 例えば、1859年にアメリカとイギリスの間で起きた「豚戦争(Pig War)」だ。舞台は、両国が領有権を主張していたサンフアン島。ある日、アメリカ人農夫が、自分のジャガイモ畑を荒らしていたイギリス人のブタを射殺してしまった。たった1匹のブタの死が、両国のナショナリズムに火をつけた。互いに軍隊を派遣し、島は一触即発の緊張状態に。最終的にはドイツ皇帝の仲裁で平和的に解決したが、ブタ1匹が原因で大国同士が戦争寸前までいったのだから、笑い話にもならないだろう。 もっと劇的なのは、1896年の「イギリス・ザンジバル戦争」だ。これは「史上最も短い戦争」としてギネス世界記録にも認定されている。イギリスが支援する新スルタンに対抗して、旧スルタンの甥が王位を主張し、宮殿に立てこもった。イギリス側は最後通牒を突きつけ、返答がないまま攻撃を開始。わずか38分後、宮殿は炎上し、ザンジバル側は降伏した。あまりに一方的な戦力差が生んだ、歴史の珍記録である。 エミュー戦争、豚戦争、ザンジバル戦争。これらは、国家のプライド、経済的な問題、あるいはほんの些細なきっかけが、いかに予測不能で滑稽な結果を招くかを示している。そう考えると、エミューに翻弄されたオーストラリア軍の姿も、どこか人間味あふれる一幕に見えてくるから不思議だ。 ## エミュー戦争が残した意外な「教訓」 結局、オーストラリア政府は軍事力によるエミューの制圧を諦めた。その代わり、政府はエミューに懸賞金をかける報奨金制度を導入する。こちらのほうがよほど効果的で、半年間で5万7,000羽以上のエミューが捕獲されたという。さらに、農地をエミューから守るための頑丈な防護柵(Emu-proof fence)の建設も進められた。 軍隊の出動という派手なパフォーマンスは失敗に終わったが、この一件は重要な教訓を残した。それは、生態系への安易な軍事的介入がいかに無力で、非効率であるかという事実だ。エミューの機動力と習性を前に、近代兵器である機関銃はまったく歯が立たなかった。この壮大な空振りは、結果的に、野生動物との共存や管理について、より現実的で持続可能な方法を模索するきっかけとなったのである。 人類の歴史は、成功と栄光だけでできているわけではない。時には、鳥に戦争で負けるような、壮大な失敗もやらかす。しかし、その失敗から何かを学び、次の一歩を踏み出すのなら、それもまた愛すべき人類の進歩と言えるだろう。少なくとも、オーストラリアの農民たちは、次に助けを求めるべきは軍隊ではなく、フェンスの設計士だと学んだはずだ。

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よくある質問

エミュー戦争で、結局何羽のエミューが討伐されたのですか?
公式記録では、第二次作戦終了までに合計986羽が討伐されたと報告されています。しかし、1万発近い弾薬が消費されたことを考えると、軍事作戦としては非常に効率の悪い結果でした。
エミューはなぜそんなに強かったのですか?
エミューは時速50kmで走る驚異的な脚力に加え、危険を察知すると小集団に分かれて四方へ散開する習性がありました。この予測不能な動きが、固定された機関銃での狙撃を非常に困難にしました。
エミュー戦争の後、オーストラリアの対策はどう変わりましたか?
軍事作戦の失敗後、政府はより現実的な対策に転換しました。エミューに懸賞金をかける報奨金制度や、農地を守るための頑丈な防護柵の建設が進められ、こちらの方がはるかに効果的でした。

出典

エミュー戦争オーストラリア歴史珍事件